無邪気であることはヨーガの真理である

無邪気とはなんでしょうか。辞書を引いてみると一つ目に

「素直で悪気がないこと。いつわりや作為がないこと」

と出てきます。よく使われているのはこの意味ですよね。修行を続けていく上でこの無邪気さってとっても大事だと思うんです。

先日、生徒さんの一人リックくん(日曜クラスでは有名な彼!)がゴロゴロしたり、おちゃらけていて、みんなに「無邪気やな~」と言われていました。これ最高の誉め言葉やな!と私は思いました。私たちは歳をとると、大人っぽく振る舞うことを身につけます。だけど、子供や若い世代の人から学ぶことは非常に多く、この本能的な無邪気さは素晴らしい能力です。

なぜならば、「邪気」が無いわけですから。

私たちヨガ修行者が目指すところのひとつ、「無」の境地です。

他人にどう思われるかなんて関係ないわけです。ヨガで身体を動かし、楽しい練習仲間と戯れる、こんな楽しいことはないわけです。

この無邪気さが真のヨガの心を引き出していくと思います。

私はお稽古を通して、アライメント(正しい姿勢)について時に厳しく指導させていただいていますが、別に私の話を聞いてくれなくてもいいと思っています。10言ったことの1でもみなさんの心に響けばいい、そんな気持ちでやっています。

旦那さんであるポール先生にいつも感謝していることの1つは、いつも無邪気な私でいさせてくれることです。無邪気というより、私は根っからの「お調子者」でよく学校の先生にも叱られてきました(笑)。大人になっても、時々「あ、こんなこと言わんかったらよかった」と思うことがあるのですが、ポールはその場に一緒にいるときも何も言ってきません。ロマンチックなことは何一つしてくれない旦那さんで、時々文句を言っちゃう私ですが、でも本当は居心地のよい空間をいつも提供してくれる旦那さんにいつも感謝しています。

ヨガ教室では、邪気を落とすためにも教室にお香をたいたり、ティンシャというヨガのベルを鳴らしたりします。

皆さんが今週も無邪気にヨガ修行が出来ますように、先生も頑張ります!

無邪気代表、バブさん!
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